“感動”の発露

晴れて本日○○歳とあいなった。実際、すばらしく空は晴れた。涙した本のことを書こうと思ったが、イチローの笑顔がちょっとしたショックで、そのことを書くことにした。

イチローファンでも、まして野球ファンではまったくない私だが、あの笑顔にはこちらもうれしい気持ちになった。いままでに見せたこともない緩んだ笑顔。それにチームメートと踊るおどけたダンス! 信じられない。スイッチOFFにしたようなフレンドリーな姿からは、自分に課している抑制の厳しさを感じさせる。きっと私は、記録を成し遂げた背景(その結果をもたらした膨大な時間を保ち続けてきたこと)に、感動したのだ。そしてその間の苦悩に対しても…。

いつだったか、イチローと松井のトークがあった。たまたまTVで見た。熱心に見ていたわけではなかったが、なかなかよかった。イチローは松井の一年先輩らしく、最初のうちはそんな関係がイチローのなかに漂っていて、構えた感じがしていた。中座から戻って見てみると、彼はずいぶん和んできていた。それは松井のキャラによるものだったかもしれない。
印象に残った会話があった。「自分は最善のコンディションを保つために、報道などはシャットアウトしているけれど、松井はそうじゃないよね。大変じゃない?」というような問いかけに松井は「好きでやっているわけではないけれど、日本の報道陣がロッカーに入ってきて他の仲間に迷惑になる。でも彼らにしてみれば日本から来ているし、話を取らないと仕事にならない。だから試合が終わったら自分が外に出て行って、まとめてインタビューを受けることにした」というようなことを言った。イチローはそういう松井をだんだん認め、わかっていったようで、最後のほうで「お前、えらいよ」とか「うらやましい」というような打ち解けた発言をしていたように記憶している。

今回の仲間と喜び合う姿を見ていて、ストイックであるために線を引いていたその線に少し親和性が宿ってきたのかな、と思った。人間イチローとしても数段成長(?)していたのではないだろうか。