月と和歌

28日は中秋の名月。名月は十五夜、満月のこと。そこで、古典を読む会は月の歌。参考に挙がった西行の歌がいい。

闇晴れて 心の空に すむ月は 西の山辺や 近くなるらん

住むと澄む。西の山辺西方浄土思想と聞くと、心に沁みる。雲とか波、木の葉を古人は心の雑念のように喩える。風に揺れる木の葉のざわめき。風に波立つ泡やさざ波。木の葉が散った後に梢から見える月と歌ったものもある。月を隠してしまうものに、こころ惑わされてしまう。

雑念が浮かぶのは仕方ないにしても、葉をつけている木本体を意識しているか、波の下に拡がる澄んだ海を意識しているか、そのことが大事なのだ。わかっているつもりでも、つい木の葉のざわめきに我を忘れる。泡立つ波にこころを奪われる。

ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃 (西行

この歌が紹介されてM氏が語りだす。これはM氏の父君が死の際に携えていた歌だというのだ。「そのきさらぎの望月」とは釈迦が入滅した日を指すという。西行も釈迦にあやかりたかったのか。そんなことを聞くとなおさらに父君の気持ちがぐっと迫ってくる。死をどう迎えるのか、それを示していくことが最後の親の役目。M氏は父親の死でそれを受け取ったようだ。
月好きとしては十分に満足な会になった。