『ベトナム』から『下山』へ

森達也著『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』。読了後、腹の底にずーんとした重さが残る。次作だった『下山事件』を読んだときは、言われもない恐怖に包まれた。今回は、加えて「やるせなさ」があとを引く。

彼の制作動機は「行きがかり上」が多い。好んでしたわけではないが、結果として大作にならざるを得ないのだろう。下山…と、ベトナム…は、膨大な資料と年月を費やしている。これらに取り掛かったのは、なんとオウム事件が起きる前からだ。それだけでもすごい。どれも向こうからやってきた(それを見過ごせないのが森達也たる所以?)。

ノンフィクションではあるが、森ワールド。「ドキュメンタリーであっても、人が介在すれば、そこに必ず編集が入る」というのが彼の持論だ。すべては編集されたものとして読んだほうがいいだろう。特に、『ベトナムから…』は、日露戦争後あたりからコトは始まっている。その上、悲運な運命を辿ったベトナム王子には、なおさら資料は少ない。発掘した縄文土器をつなぎ合わせるようなものだ。絶対的にピースが足りない。そこは作者が想像でつなぎ合わせるしかない。

森氏は8年前、番組の制作で、あるベトナム留学生からベトナムから日本に来た王子について訪ねられた。「知らない」と答えると、彼は「…僕らの王子は、日本に殺されたようなものなのに、どうして日本人は誰も、このことを知らないのですか」と言われた。内面の複雑な思いが込められた言葉に気圧され、森氏は「その話、あとで聞かせてくれませんか」と、耳元でささやいていた。以降とんでもなく大変なテーマに関わることになるのだった。

謎解きの部分があるので、内容はあまり明かせないが、フランスの植民地であったベトナムの王子が、革命家に頼まれて自国の独立を成そうと、日本に密入国するところから始まる。そして1951年、荻窪の粗末な借家で69歳の生涯を閉じるまでの数奇な運命を追っている。

この人物を通して、彼の人生に関わってきた歴史、社会が見えてくる。当時のアジアはフランス領、イギリス領と、西洋諸国の植民地と化していた。そこに日本が西洋の大国ロシアに勝ったことで、アジアの憧れの国になった。国内でもアジアでまとまろう(いまでいうユーロ?)と壮大な想いを持つ実業家たちがいた。

彼らは日本で学び、自国の独立の力になるよう、留学生をたくさん受け入れてもいた。インドの独立運動で追われていた若者を保護したり、留学生孫文などを援助したり、いわゆるスポンサー的文化人がたくさんいたようだ。玄洋社頭山満中村屋の相馬夫妻、首相になる前の犬飼毅などが王子に関わった。そのあたりの様子は興味深かった。しかし時代は変わっていく。5・15事件、日本軍のアジア侵略、フランス政府との駆け引き…という世界大戦前後の混乱のなか、王子は木の葉のように翻弄される。

森氏も書いているが、誰が悪いとか、何が間違っていたという問題ではない。正解などないのだし。彼一人を取り上げて云々することでもない。たくさんの翻弄された人の中に、そういう人がいたという事実だけを受け取る。最後の最後、死んでもなお報われずに、両国から忘れられた悲運。本国からは、意図的に葬り去られたベトナムの王子クォン・デの孤独を思うと哀しい。

人の関わりによって時代は移り、社会は動いていく。どうしようもできない流れとしても、しかしそれを動かしているのは私たち自身なのだ。『下山事件』の前編として読むと、ちょうどいいかもしれない。時代が続いている。

今回も思う。これは決して歴史のなかのことではない、同じ流れの先に現在(いま)もある。