自己研究という方法

4日に続き、5日も濃密な日であった。知名度もアップし、いまや引く手あまたの“べてる”のメンバーと川村医師の講演。友人たちは前日の神奈川に行っているが、私は予定があり戸田まで。北海道にある精神障害者たちのありのままを受け入れながら、真の自立を模索するグループで、知って10年近くになる。「とじこもりのすすめ」のビデオを観ながらトーク。いつも実にいい言葉と顔に出会える。元気をもらうのは、健常者の方なのだ。

爆発系の川崎くんは当事者研究をしている。自分を研究するのだ。なぜなのか、どんなときになるのか、対処法は…など。自分を客観化し、気持ちを言語化する作業である。具体的な、現実的な言葉が出てくる。この発想がスゴイではないか。(川村医師は常に治すとは何なのか、医師の役目とは…と問い続けている)
川崎くんは憤懣などがたまってくると、幻聴がくる。世界平和を目指しているが、阻止する悪者に追われる。それらと戦うために、結果として怒鳴ったり、壁をぶったりするのだ。(こういう妄想の人が意外に多い。こころやさしいのだと思う)。

今回、驚いたことがある。そんな過程をみんなの前で話すのだが、前日の講演後、調子を崩して大変なことになったらしい。例の妄想がやってきた。夜中、川村医師に状態を告げる。メンバーが招集され、彼の幻聴や様子をとことん聞いたのだそうだ。まず自分に起きていることを人に話すという対処法である。そしてやっと妄想は消え安心して眠りについた。そうした切実な事件を翌日の講演では早速取り上げていた。ちゃんと落ちもつけて。感心しきり。

もっと驚いたことがある。彼は当事者研究をし続けた結果(プロ顔負け)長年の苦労が実り、こころの平和を取り戻してきた。ところが、新たな不安に襲われたという。こころに平和が訪れたとき、いままでのヒーローイズムや虚像が崩れ去り、戦う相手や苦労がなくなり、なんだか喪失感のような、虚脱感のような気持ちになった。そして今度は平和が怖くなるのだった。彼は言う。でも気がついたら、そのままを受け入れる仲間達や地域が待っていた。これからは「平和の先にある力」をつけなければ…と。この分析力!

その作業は健常者(その線引きも難しくなった)にこそ必要なのではないかと痛感しているこのごろ。実は、そんなこともお見通しだった。彼は休憩時間に言ったそうだ。「先生、健常者の救済が必要だわ。彼らは恐ろしく考えが浅いぞ」と。恐れい入谷の鬼子母神。参りましたでござる。

土日と、まったく違った分野の講演。でありながら、世界の見方や自分の振る舞い方といったものに、共通した流れがある。打ち上げで、ビデオ制作の四宮監督や『悩む力』を書いた斎藤氏と久しぶりの対面。