映画を懐疑する

神楽坂のホールで行なわれたシンポジウム。宮台真司森達也・映画評論家の松田政男さんがパネリスト。最初にムーアの「華氏911」の感想。3者ともに「いかがなものか」という点で一致をみる。宮台氏はOKを出す気持ちで行ったが、観終わって頭を抱えた。「アメリカのしたことを批判するのならカーター時代くらいまで戻らないと、表現できない。プロパガンダであってもいいが、プロパガンダにもならないだろう。つまり動員は期待できないだろう。また反ブッシュが強く、肝心な米国のしていることへの批判性が薄れている」と言う。
森氏「はじめにスローガンありで、映像や表現が直喩のみ。稚拙だ」とメタファーの不在を言う。松田氏の「政治を撮るのではなく、政治的に撮る」の言葉はちょっとおもしろかった。政治的に撮るとは、映画自体を疑わせるために撮るということ。暗転画面を多用したゴダールとムーアの暗転画面の決定的違いの指摘など興味深い。

ただ、知らされていないことを知る意味はあるとして、観ることには肯定的だった。(そりゃそうでしょう)事情はいろいろあれ、どれもが「アメリカの無邪気な正義感」がなせる業。その疑いのなさを訂正する意味はあると。その後、左翼右翼転向論、我と我々など、話題は発展した。なじみの両者とは角度が違った視点の松田氏が私には新鮮だった。それにしても、テーマが見えにくかったなぁ。タイトルはサブカル論だもの。