ホットコーヒーを飲みながら

うわ、涼し! からだがホッとしているのがわかる。夏バテ予防と称し、一日ズルケを決め込む。久しぶりにホットコーヒーを入れ、話し込む。
本日は8月15日、終戦記念日である。終戦直後に生まれた人も、はや59歳。戦争を知らない世代がほとんどになった。が、米軍の基地で起きた事故に関して、いまだ日本側に自由はない。14日に観たビデオでも感じたことだが、米国のドキュメンタリーではよく、元○○という人物が、当時の当事者としてかなりのところまで真相を話しているということ。日本ではああいうドキュメンタリーは撮れないだろう。被害者からの発言は時間を経て拾えるが、当事者の発言はなかなか拾えない。真相を知っていても、しゃべらないのだ。

米国での仕事が多い連れあいは、そのための苦労があると言う。つまり昨日の友が、契約如何では今日の敵になるということが、日常に起こる。社内の機密をしゃべるなど、日本では道義的に考えられない。まして国家に関する機密などは、墓の中まで持ち込まれる。先日新聞に四元義隆氏の死亡通知が載っていた。すでに6月に亡くなっていたのだ。四元氏は森達也下山事件』で日本の戦後を動かした大物の黒幕として名前があがっていた人物。しかし、彼に関してなにもわかっていない。森氏は彼に何度となく連絡を取っていたとうだが、その彼も沈黙のまま墓場に行ってしまった…。身近では、義父も戦争を語らずに逝った。この性向はどこからきているのか?

日米の文化?の違いは明らか。一長一短どちらがいいとも言えないが、悲劇を繰り返さないために、知る(知らされる)ことは必要なことと思う。
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