「こころ打たれる」とはなんぞや

久しぶりにリアル本屋を覗いた。K屋本店。覗くだけで終わるはずがなかった。二階だけで済ませたが、それでも文庫の松岡正剛『花鳥風月の科学』と内村鑑三『代表的日本人』を買い、ルソーの取り置きを頼んでしまった。(目が辛いので、なるべく文庫は買わないようにしているのに…)帰りの電車で、早速広げる。携帯した本があるにも関わらず、買ったばかりの本を袋から出し、ちょい読みするのが愉しみなのである。

行きに読んでいた本は白州信哉編『小林秀雄 美と出会う旅』。今日は難解なものや濃厚なものは読みたくなかったので、お気軽なものをと思って持参した。ところがページを繰ったとたんショックな絵が飛び込んできた。ゴッホの「烏のいる麦畑」である。麦の金色がこころを殴打する。構図が、色彩が、技法がどうのこうのということではない。わたしはそういうことはわからない。ともかく麦は金色に輝いていたし、画面の右方向に大きく傾いていた。麦穂はうねっていた。読み進んではまた戻って、その絵を眺めた。それが「美」であるからなのか、わからない。ただ人のこころを動かしたことは確かだ。

小林秀雄はなんだか敷居が高かった。遠い人だった。でも周りに彼を好きな人が現れ、エピソードなどを聞くうちに興味が湧いた。編者の白州信哉という人も興味湧く。なんと言っても、小林秀雄、白州正子を祖父、祖母に持つ人物なのだから。ゴッホをはじめとして、日本画から骨董までの作品、作者とのエピソードが収められている。その中に梅原龍三郎とのことが書かれていた。浅間山を描こうとした彼が、晴れているにも関わらず「今日は見えない」と言い、曇った日に「今日は実によく見える」と言ったそうだ。それを聞き、小林秀雄は「それが梅原のイデ(Idee)だ。見えるものではなく、見えてくるものを描く。それが梅原さんのイデなんだ」と即答した。いい話だ。小林秀雄もまた自分の感性に従っていた人のようだ。背景や薀蓄より「いいものはいい」、「好きなものは好き」と。小林秀雄がぐんと近づいた。