クローンの幸せ

フレッシュマン、フレッシュガールと快飲した。集団で見ると、「いまどきの」という色が確かにある。しかし一人ひとり話してみると、さまざまな思いや夢、また違和も抱いている。けれど彼等は熱く語ることがダサかったり、マジメな話は引かれたりする。それが怖くて言わないんじゃないかと言うのだ。独りが怖いのだと。そんな窮屈な関係嫌だね。

ふと、いつかの新聞のコラムを思い出した。コラム氏があるすばらしい舞台を見ていて、なぜかマトリックスを思い出したと言う。あのコピーのような無数のエージェントたち。そう言えば、孫悟空にもそういう術があったが。それからコラム氏はいま「みんなと同じ」ということが安心要素なのだとして、「クローン人間の幸せ」という言葉で表した。それが妙にこころに残っていた。なんとも哀しい言葉ではないか。

本当にそれを幸せに思っているのか。あちこちぶち当たって辿り着いた結果の幸せなのか。まだ転びもせず、手もついていないうちに、幸せって掴めるんだろうか…。一緒にいた若手のおじさんが「毎日幸せなんか感じない。けれど、時々ふっとしたとき、ちょっとしたことで『幸せ』を味わうんだなぁ」とつぶやいた。「ほんとほんと。幸せになろうと思ってなれるもんじゃない。『これが幸せ』というかたちもない。人それぞれだ。気がつくとふと感じているものなんだね。だけどただ待っていては降ってこないんだ、これが」とおばさんも大いに頷いたのでした。