かたづけるべきものは…

ちょっと読みたいものがあって、週刊誌を買った。実に久しぶりである。そのなかに、何事もつい仕事に結びつけて考えてしまうというエコノミストの原田泰氏の文章があった。彼は「オンとオフの違いは、取り留めなく考えてしまうことだ」と言い、それが愉しみだと言う。その言を借りれば、私は常にオフ状態。とりとめないことばかり考えている。で、今日のとりとめないことはこんなふうであった。
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「かたづけられない女同盟」でもできそうなくらい、実は周りにはたくさんのお仲間がいたのだった。いつもそれを口にしている友人に、TVでの話を電話でしたら、「MさんやRちゃんもそうだよ」と言う。Kさんも「コンプレックスだったんだけど、そういう症状があると知って安心した」と言っていた。unaスタッフにその話をしたら「えーっ、私もです」。みんなバリバリ活躍している人たちだ。それを聞いて私もまた安心をした。

きっと昔のような社会構造や暮らしのペースでは、障害にならなかった。だから、顕在化もしなかった。それが現代生活では支障が出始め、話題になってきた。そういうことも理由にあるだろう。衣類、紙類、食料にしても、ゴミの量にしても格段に増えているし、やることもやりたいことも増えている。かといって、そういう事情が「かたづけられない」ことへの免罪符になり得ないのはわかっている。

実は、豊かさの証明のような物の多さや文化の証明のような情報の量が、果たしてどれほど必要なものなのか…、それも重要な問題なのである。