かたづけ能力は編集能力?

かたづけられない女を自認している私であるが、大人のADHD(注意欠陥・多動性障害)も片付けられない女だった。TVのVTRを見ていたら、ADHDの彼女が部屋一杯になっている衣類?を袋に入れているのだが、ただ入れているだけで、分類していない。ナレーションでそう言っていた。かたづけになってない。これはやばいゾ。心当たりがある。

物が多すぎる。つまり「捨てられない」とは、取捨選択ができないということであり、「整理整頓できない」とは、分化分類能力が未熟だということになる。漠然と「だらしがない」ということでかたづけてはいけないことだった。捨てるものは何か。そして取っておくものは、どのように分類し、収納するのか。これも大きな意味で編集の視点と言える。

このようにして、段階的に具体的に進めていけば、少しはマシになるのではないだろうか。「かたづけられない女」の自覚とは、かたづけられるようになるための手立てが見えてくること。うん、なかなかの前向きな考察。とまあ、こうして書きながら、私は脳内の整理整頓をしているのであった。