記憶は案外そそっかしい

うちの場合や電車やデパートで耳にすることだが、長く連れ添った関係ほどこの傾向が強いのではないか。言い合いの元の話である。
聞いていると「だから、しつこくあなたに、そう言ったでしょ」「そんなこと聞いてない。お前は○○だと言った」「ああ、いつもそうなんだから。ちゃんと言いました」と、言った言わないでもめている。そして両者自分の主張を譲らないものだから、その言い合いは永遠に続く。だいたい、そういった流れだ。
たぶん両者ともに、ごまかしているわけではなく、本当にそう思い込んでいる。お互いに実感なのだ。だから譲れないのだ。しかし、そこには思い込みという要素が紛れ込んでいる。それを認めない限り、その類のトラブルは続く。会社の取引相手だったりすると、すぐに訂正するのだが。まったく心当たりがなくても…。遠慮がない分、始末が悪い。

実際自分の実感を疑うということは、なかなか出来ないことだ。だが、自分事で言うならば、このごろ思い込み、記憶違いが意外にあることを自覚せざるを得なくなっている。記憶とは結構怪しいものだということもである。
たとえば、あのことは確か右のページの、真ん中あたりに書いてあったはず…、と確かな記憶の元にページを繰るが、なかなか見つからず、やっと見つけたところが、左ページだった、なんてことがあるからである。「えー、絶対にこっちだったのにぃ」と思っても事実だと、その記憶を訂正、更新せざるを得ないのである。

そういう自覚がお互いに芽生えたなら、世のカップルのトラブルは半減するだろう。間っ違いない。