改めてナンシー関

週末に予定があったが、このところ頭が重く、それが不安材料だった。案の定体調不良になる。金曜日は一日ダウン。土曜日まで持ち越す。寝てるのも飽きちゃった。でも文字やPC画面はダメだ。吐き気がしてくる。で、埒もないことを思い巡らすのだ。大抵はマイナスな妄想。

しょうがないなぁと、傍らの『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』を見る。ナンシーは生前にはなんだか先入観があり、手にとらなかった。それが主催する朗読ゲームの会で知って、まずはこれを買ってみたというわけ。電車で読んでいて困った。吹き出しそうになるからだ。お題があり、それを見ないで記憶だけではがきに描き、投稿する。そこにナンシーがコメントをつける。それがやたらおもしろい。彼女の才能がそれだけでわかるというものだ。作品はうまい下手なんてもんじゃない。そのものになってないのだ。他人事のように笑ってはいけない。記憶だけで描くと、大抵この程度になる。記憶とはいい加減なもの。お題はカエルとかエビ、カマキリ。ウルトラマン、ぺコちゃん。自転車、ランドセルと多彩だ。そのうえ投稿者が『通販生活』の連載だから高齢、低年齢層というのも想像を越える作品に会える要素だ。付録にはナンシーとこれまた異才のいとうせいこう押切伸一両氏の考察が付いている。一気に描けないから幽霊みたいな線が多いのは、高齢の証拠。自転車、一見すばらしい描写力だが、肝心要のペダルがない!などなど。そこからナンシーらは記憶の仕方の違いではないかと推察するのだ。デジタル的記憶とイメージ記憶。脳科学者も真っ青!「きっとそうだ!」という気になってくる。ピカソは見えたままを折りたたむように記憶したとかしないとか…。記憶の仕方、ちょっと興しろそう。それにしてもナンシーの感覚って独自だ。代わりがない。