1)こころの刻印=傷

脳科学茂木健一郎氏の「脳とこころを考える」を受講することにした。どんな展開になるのだろう。科学音痴の素人で大丈夫だろうか、不安半分。


「忘れられない記憶って、傷つけられた状態と似てませんか?」。のっけから「傷」の話題にビックリ。脳のシステムはどうのこうの…という話じゃない。脳の緊張がゆるむと同時に、好奇心がグンと頭を持ち上げた。人との関係はたとえ恋愛関係であっても傷ついている。その傷は排除すべきものではなく、大事なもの、なくてはならないものではないか。いきなり「傷つく」ということに言及。まさに私の実感、「傷=気づく」の理論展開である。昔、学生のころある教授に言われた「研磨とはなるべく細かい傷をつけることなのです」という言葉を思い出す。以来、私の好きな言葉になっている。小さな傷をたくさん受けることで、心(自分自身)が磨かれていく…そう自分なりに解釈したからである。


養老孟司さんは挨拶ができない子であり、それが(傷)になっていたと後年気づいた。アインシュタイン学習障害と言える。天才と言われる人にはそういう人が多い。「障害者にもかかわらず天才になった」ではなく「障害者だからこそ天才になった」と言った方がいい。「うまい具合についた傷」は創造性につながっていく。…と茂木さん。うひゃぁ。一気に私の脳細胞が繋がり出したゾ。


傷つくことで、気づいてきたことがたくさんある。茂木さんは正高信男氏の『天才の作られ方』を紹介していたが、私もずいぶん昔に『天才の法則』というタイトルの本をおもしろく読んでいた。他にもなぜ人は病気になるのかという、病いの必要性についての本も選んで読んでいた。そこには、精神障害者の出現率が歴史的に変わっていないということは、人類にとって何らかの役割があるからだろうという考察が書かれていた。
また回虫博士の藤田紘一郎氏のお話を聞いたことがあり「清潔思想と排除思想の重なり」を感じていたのだが、茂木さんの口からも彼の名前がでて、「心の無菌状態の危険」を言われていた。分野の広い話にちょっと驚きだ。


自身を振り返ると、傷ついた(痛み)ことを大事に見つめはじめて、脳研究の世界が実は生活と密接なのだと気づいた。もともと興味があった脳が一段と身近な関心ごととなったのだ。なぜ脳に関して惹かれ続けてきたかは、いずれまとめてみようと思う。忘れていた記憶が蘇えるかもしれない。(つづく)