桜と戦争

都心から遠く離れた我が家の周りはまさに桜色である。桜の並木が続き桜のトンネル状態。理屈ぬきに美しいと思う。今年は幸いたいした雨が降らずにいるので歩道の桜の絨毯もキレイだ。毎年日本人の桜好きを思う。ひねくれものの私はどこに行っても咲き誇っている満開の桜に「花は桜だけじゃないだろうに」とウンザリすることもあった。だが今年は素朴にキレイだと感じる。先日買い物に出ると心地よい春風と、まさの宵闇にぼんぼりのように咲く桜が絶妙だった。その上、枝のから満月が! 日本人冥利に尽きる。


古典講師のCさんは、武士の時代から桜の散り際のよさが死に際のよさと重ねられ、好まれていたが、近代の戦争でも桜が利用されたと言っていた。その翌日くらいに、たまたま「桜と戦争」についての番組に遭遇。まさのさきの戦争では桜がプロパガンダに利用されたというもの。特攻隊の帽子や肩章は桜だった。出征兵士を見送る人々が桜の枝を振っていたのには驚いた。恥ずかしながら、そんなことも知らなかった。


桜にしてみればいい迷惑だろうに。死に行く人々を美化するためにたたえられた桜吹雪。その一片ひとひらが、将来のある若者の命…なんてことを納得させられたんじゃたまらない。しかし、当時若者達も家族も、わかっていながら、その思想にすがるしか、自分を納得させられなかったことも事実のようだ。哀しい。 


たしか、それを研究している女性は外国在住だったかと。そのためか、本が出ているはずだが、検索してもひっかかってこなかった