偶然という情報

先月末、芥川賞作家玄侑宗久氏のお話を聞きに行った。その時のこと、非常に大雑把で安易な理解ではあるが忘備録として書き留めておきたいと思った。(誤解も含む)


だいぶ以前、アーティストでもあるお連れ合いの方と親しくなった。それで彼女に会えるかと、タイトルも知らずに出かけたのだ。仏教の講和と思っていたが、予想外であった。一言で言えば、共時性の話。因果関係では説明つかない偶然性を原子や宇宙の始まりと絡めて、ユング理論(集合的無意識)を取り入れながら説明。私が独りであちこちとかじっていたものが、整列した感じ。大学の講義のように、理路整然と順序立てたお話だった。


まずぶつかって跳ね返ったものが情報、そして物体はすべて流動しているという認識を確認。生物であれ鉱物であれ原子レベルではいつも核の周りを中間子?(厳密にはどの言葉を使ったのか不明)が廻っているわけで、その間には広大な空間が存在する、ということ。つまり情報は物体を通り抜けることが可能だという想像力。そんな確認から話は始まる。色即是空の「色」はS的情報=ストップまたはすくい取った情報→ロゴス的、左脳的。「空」はV的情報=流動している→カオス的、右脳的。いままでは因果関係がなければ情報とされなかった。S的情報のこと。それ以外は偶然と処理されてきた。


しかし偶然とか虫の知らせとか、共時性らは、プランクスケール(超ひも理論)で説明がつくという。超ひもとは10のー33乗cm×宇宙の幅で、しかも時空を超えたものだそうだ。つまり時間や空間が存在しないということになる。となると、そのエネルギー(情報)の伝播は一瞬であり、時間からも自在なのだ。なるほど。なんだか共時性、偶然が私自身でもそれで説明がついた気になってきた。そこで玄侑さんは「100番目のさる」の話をされたので、なおさらその気になったのであった。


あるメスざるが芋を洗って食べることをした。やがて遠く離れていても、芋を洗って食べるさるが現れ、その数が100匹目になったとたん、一斉に芋を洗い出したという話で、それは気のエネルギーの話として紹介されている。それが超ひもの情報伝播の仕方だとしたら、頷ける気がしたのである。テレポーテーション(空間移動)ではなく、伝達なのだという。それも理解し易い。


ただそこまではなんとなく理解した気にはなったが、そこから説明された希望の原型という言葉が、ユングを知らない私にはさっぱり想像できなかった。また対話の時間に質問をした、V的情報をキャッチする(受信)側の状態についても、実はまだよくわからない。タイトルにあった「虫の知らせ」とは? 当事者のアンテナが何らかの情報物質に反応してキャッチするのではないかと思うのだが…。時間切れ。着地できないもどかしさが残る。彼は瞑想状態の時に一番受信能力が増すと言われたが、そのことには心当たりがありなんとなく納得。


会場からの質問に対する回答で、印象深いものがあった。先祖供養とか水子供養しないと幸せになれないというようなことについて、それを因果関係で考えない方がいいと言われたことにである。見えないものや過去未来の予言めいた分野になると、新興宗教やオカルティックな方向に行きやすい。しかし、因果論で考えなくていいというのは、救いでもあり、その傾向に対する警鐘でもあると思った。