秋深し

恐ろしく間が開いている
留守宅もあまりに長く空けていると
敷居が高くなってしまう
訪れづらく躊躇しているうちに
すっかり空き家と化してしまう

世に流行っているSNSやつぶやきのほうに
つい足を運んでしまう・・・

なぜかと問えば、やはり
「感じる」から「考える」
そして文字として「表出」する
その作業、時間をはしょっているからである

書きたいことはたくさんある
身内の不幸も含め無念な訃報が届く
お気軽には書けないことがある

で、つい新たな情報が飛び交う
にぎやかな通りに出かけてしまうのだ
という言い訳なのでした