性と死

ある日、死に対する悲しみとか不安というものは
有性生殖であるからではないのか・・・とふと思った。

二つの異なる性が融合し全く違う生命が創られる。それはどちらとも共有する遺伝子を持ちながら、どちらでもなく、それぞれから独立した個体となる。

つまりは、他者という三者の存在がそこにはある。そして、出現とともに個の消滅が成立するわけである。さらに、勝手な解釈を進めていくと、無性生殖というイメージは分裂とか増殖。自分の一部の分離と発展。そこには他者の存在はないのではないか・・・

他者という存在があるから、自己が派生する。自己の消滅は他者の死から知覚される。もし無性生殖なら、消滅を死と知覚するだろうか? 出現も消滅も一つのなかで起きていることとなるのだから・・・

そんなことを思ったのが数日前。いまたまたまTVを見ていたら、「性が生まれたと同時に死も生まれた」と科学者が言っていたので、びっくりした。

無性生殖を一倍体、有性生殖のことを、「二倍体」と言うのだそうだ。しかも、それを言っていた科学者とは薬学部教授の田沼靖一氏で、なんとなんといま読んでいる本の著者のひとりでもあったのだ。またびっくり。科学者が語る生命科学と社会というテーマに興味ひかれ、読み始めたもの。

生命科学者、現代を語る―時を越えて万里同符 (ポピュラー・サイエンス)

生命科学者、現代を語る―時を越えて万里同符 (ポピュラー・サイエンス)

田沼氏は細胞中に死の遺伝子を発見し、細胞の死から治療薬を研究している人物だった。私はどちらかというと、哲学的な志向で想ったことだったのだが、科学者からその言葉を聞くとは…ちょっと興奮。読了が楽しみである。