連休の一日

GWは季節はいいのだが、どうも遠出をする気になれない。今回もノープランである。そんな一日、近くの緑地まで自転車で行ってみた。この地にきて間もないので、地域探索の意味で、途中いろいろと寄り道をする。

この地は古くからのお寺や神社が多い。それとも無信心と言われながら、実際は案外多い国なのかもしれない。氏神さまは村に一つはあった。お寺もあっただろう。そう考えると、外国の教会の倍はあることになるか。外からみたら信仰心溢れる国民に写る?

以前はおそらく村社会に対する役割は大きかったのではないだろうか。公的というわけでもなく、かと言って私的でもない拠所的存在。いま、それらに代わり役割を担うものはあるのだろうか?ふとそんなことを考えた。

お寺も神社も緑の多い場所。いまの季節は特に気持ちがいい。手入れされた境内にはたいてい年輪を重ねた大木が2本や3本はある。根元で首をそらしながら、それらを仰ぎ見る。空と緑と風と…。眺めているだけで、こころが休まる。

さて、目的の緑地に着くと、ちょうどプロムナードコンサートが始まるところであった。汗を拭いながら円形の広場に腰を下ろす。ピアノとフルートの演奏。ここでも青い空をバックに、ゆったりと。いっぱいの太陽を浴びて軽い疲労感。それもまた心地よく、豊かな休日であった。

このところ2007年問題とか、なにかと団塊の世代に関する話題が多い。商戦のターゲットにもされているらしい。

大抵は海外旅行だとかセカンドハウスだとか、悠悠自適なゆとりある老後をスタートさせるだろうというニュアンスだ。

そんな風評に疑問を呈している新聞コラムがあった。
2007年に多量退職者が出て、人事政策の危機は杞憂だという。すでにバブル崩壊の後始末に早期退職を迫られているからだそうだ。

そして多額の退職金を手に入れるという件。そういう人は大企業の一部。例えもらったとしても、住宅ローン返済が残る。そして老後、医療費、年金の目減りなどを考えると、贅沢な消費は期待できない。

もう一つは時間の余裕ができ、世の中を変えるという期待も怪しいと言う。大半は経済的理由でまだ働くだろう。また年老いた両親を抱え、介護に時間を取られる人も多いだろう。

団塊の世代であるというコラム氏は毎日登場する話題が実体と乖離している気がして、どうも違和感があると書く。商魂たくましく待ち構えている向きには申し訳ないが、コラム氏の方が実感がわく。確かに一部は悠悠自適でリッチな生活を送る人たちがいるかも知れないが、大半はそう単純ではない。いろいろな事情を負っている。