同じ重みの生命

ゴタゴタしていた。今もゴタゴタのままである。PCはなんとか復旧してほっとしている。実は先月転居したのである。苦手な書類手続き、届け出など、目いっぱいやった。


転居前後に友人から便りが届いていた。一人暮らしの彼女と一緒に居た愛猫の死に関する報告であった。猫は見たことはないのだが、いつも聞かされていたので、彼女のことを思うとなんと言ったらいいか、ただ言葉を探す。


友人とは半生を一緒に暮らしたほどの年月。 昨年の暮あたりから夜中になると徘徊ではなく、家を出て行こうとすると書かれていた。呼んでも呼んでも戻ろうとしないという。その時点で、私にはなんとなく予感があった。 風邪でもないのに、食べ物を受けつけなくなり、嘔吐反応があったり。一日中浅い呼吸で寝ていることが多くなったと。


闇に歩き出す猫を、彼女はおせっかいと知りつつ、自分のためと知りつつ、連れ戻していたという。そして背中をなでてあげながら添い寝をする日々。だがついに別れの日がきた。幸せなことに、彼女の腕のなかで息を引き取ったのだという。


彼女とはまるで人間のように、意志を通じ合っていたので、もちろん察していたと思う。しかし、猫は死期を悟っても姿を消さずに 彼女のために最後まで傍にいてくれた気遣いに感謝している。それでも「覚悟していてもさみしい。とてもさみしい」と書いている。


山間で家畜たちと暮らす彼女は動物たちとのつらい別れを何度も経験してきた。そうであっても 今回はことさらつらい別れを独りで見届けた。その経過を淡々と静かな表現で表していた文章に、返信を書く手が重く、書けないでいる。

動物に言葉などわかるはずがないとか、主人の表情の変化を察知しているだけとか…逆に、いやまったく言葉を理解している・・・ そういったことは私にはわからない。


ただ 彼女の動植物との対し方や、動物たちとの様子を聞くにつれ、確かに一緒に生きて コミュニケーションをしていたように思えるのだ。そんな彼女にかける言葉が、まだ見つからないでいる。