風化しない記憶

8月に入り、6日、9日と戦争とか原爆とかといった記述が多くなり、それは「死」というものを意識させられる季節にもなっている。人によってもたらされた死。だが、私自身の記憶にはなく、歴史に記録されたことがらからの死である。

近年、そこにもうひとつ8月12日も加わった。御巣鷹山日航機墜落事故である。もう21年前になるそうだから、1985年ということになる。原爆投下、敗戦からちょうど40年目だったのか。

この事故は私の体験した記憶である。別に事故に遭遇したわけではないが、報道から墜落の生々しい現場の映像などを見ている。巨大なジャンボ機の奥深い山中への墜落は、520人もの犠牲者を出した。個人的にも、直接ではないが、関係がある方が犠牲になられ、いろいろな意味でショッキングなできごとであった。

鎌田慧氏のコラムによると、未曾有の大事故であったものの、毎年メディアに取り上げられ、社会的記憶から消えないのは、事故を風化させないために遺族による「8・12連絡会」が社会に喚起し続けてきたからだと書かれている。彼らは2ヶ月に一度遺族の想いを綴った「おすたか」を発行し、文集にまとめ、追悼慰霊祭を毎年続け、日航に事故防止を強く要請してきたというのだ。

毎年登場するニュースをあたり前のように受信し、刹那的な感慨に浸っていたのだが、そういう背景があってはじめて事件が継承され、社会的記憶になっていくのか・・。そんなことに思いを馳せたことなどなかった。

そしてお盆でもある8月15日につなかっていく。8月は厳しい暑さを伴う「死者の記憶」の月である。