袖触れ合うも他生の縁

『編集工学』という概念を知ったのはもうずいぶん前のこと。知の編集工学 (朝日文庫)松岡正剛氏が提唱している「編集」概念だ。書物に留まらず、編集という視点を深め、広くして、世界を捉えようとしている。それに向かう意識を彼は“意識のカーソル”と呼ぶのだが、何にファーカスし、何を編集の軸に置くかで、まったく違ったものが立ちあらわれる。単純に例えば雨の日を、「雨の日は天気が悪い」、とするか、「雨の日は天気がいい」とするかで、世界は全く違って見えてくる。

私たちの脳内ではそのような作業を刻々としているわけだ。そうなると、どんな情報を拾い、どう編集するか、カーソルの合わせ方が重大な問題となる。起きていることは全て脳内現象とすれば、「私」というものは、編集如何でどうとでもなると言うこともできてしまう。

さて、編集される「情報」についてである。言葉は日常的になっているが、定義はよくわからない。彼が言うところによれば「情報は一人ではいられない」。情報は情報を連れてくるし、情報は連なるものなのだそうだ。しかしその前に、情報となるには、知覚工程が必要になる。景色を見ていても焦点(意識)を定めなければ、知覚は起きない。また目が悪い人は、メガネをかけて初めて何かを知覚できるように、メガネというツールがあると、容易に知覚できる。そのツールを彼は“型”として見える形にして提供しようとしている。その型を工学として研究がすることをしているのではないかと推察しているのだが(独断)。

また今まであった情報に、違う要素が加わることで、新しい情報が生まれる。「情報以前」から「情報」となるわけだ。新しい情報の生み方、つなげ方として、「対角線を引く」という概念がある。一種の補助線。折り紙に対角線を引き、折り曲げると、一番遠かった角と角が重なる。そんな発想だ。意外なものに関係性を見出す。ほかにいままであったものを「言い換え」てみるという発想もある。どれも興味深い試み。

などなど、松岡流編集術から学んだものは多い。編集という概念が変わることで、一言で言えば、世界が色鮮やかで、楽しくなったと言えるかもしれない。

実はこんなことを突然書いたのも、昨日、癌手術いらい初めての松岡正剛氏の会に参加してきたからである。少し痩せられ顎にも髭を蓄えた着物姿の正剛氏は、孔子の風情。彼の話に脳が大いに刺激された、濃密な一日であった。