問題がなくなったときこそ危うい

べてるの家の最新ビデオを観る。*1 精神障害者の真の自立を模索するコミュニティだ。ビデオ「ベリーオーディナリーピープル」はべてるの群像を捉えている感じだが、今回のものは当事者一人ひとり、一つひとつのケースをクローズアップしている。病気を客観的、俯瞰的に捉えるため、自分研究という形で病気と対峙している。その研究において優等生(?)である青年Kくんは、自己研究のおかげで症状がなくなってきたことに、不安を訴えている。症状がなくなったことで、いままで振り回されていた苦悩から開放され、なにも立ち向かうものがなくなった空虚感。また症状がなくなり、自分は病気が治ったとみんなに思われ、健常者としての仕事や責任を再び要求をされるのではないか…という不安感や重責感。そんな矛盾を含んだ葛藤がからだの中を渦巻いているという。そして「僕はまだ病気なんだよ」とアピール行動をしたくなるのだそうだ。そこで仲間(みんな当事者)に聞いてみると、「安心しな。みんな治ったなんて誰も思ってないから」と励まされる(?)のだった。

彼はまた小学校中学校と一生懸命昇っていって、頑張りすぎたのか、精神病を発病し、一気にどん底まで急落下した。そこからまたいろいろ試みながら回復してきたのだけれど、よくなってくるとまた急落下することが怖くて仕方がないという。頑張り過ぎないように、いっぱいいっぱいにならないように、だんだんに降りていくという生き方を知らないのだと訴える。

そんなミーティングの様子をみていてK医師は、彼がそのことを言葉にすることはとても大事なことだと言う。一見症状がなくなり、周りも改善したと思っているときに、本人は非常な不安感、虚無感に襲われていることが多い。症状が消えてきたこの時期の自殺者は多いのは、それに加え自殺する(行動)エネルギーも付いてきている。だから医師としては一番気をつけなければいけない時なのだと。その意味で、不安を本人が訴え、みんなが聞いてくれる場を持っている彼らは、とても重要な試みをしているのだと言われていた。

べてるは精神障害者として認知された人たちの試みである。けれど、社会にはその境界線を行き来している人や、近い距離にいる人たちが、潜在的にたくさんいる。最悪の状態から回復していく過程が、一番危ういということは、こころに入れておかねばならないことだろう。心あたりがないわけではないので、ズキンときた。彼らの心理は結構普遍性のあるものだと思う。果たして健常者はそこまで、自分のこころと付き合っているか…と、いつも問われるビデオなのである。