“風”あれこれ

ハワイを一言で現すなら“風”だと思った。常に風が吹いているのだ。そのために赤道近くてもそれほど暑くはない。空気が乾燥していてベタベタしない。どこから吹く風かは知らないが、気圧の差ができるからだろう。空気に温度差ができると空気の上昇が起き、密度に差ができる。そこに周りから空気が流れ込み、風が起きる。また山があるためそれに沿って上昇気流の雲ができる。雨が降る。また温度差で上昇気流が起きる。そのサイクルが常にどこかで起きているということである。


平田オリザ氏の芝居に「もう風も吹かない」という作品がある。明日最後の海外協力隊が出発するという近未来の設定。矛盾やマンネリが澱のように堆積し、動かなくなっている状況。それぞれの思いを持ちながら、それに直面する青年たち。ゆらぎと葛藤。支援とは、協力とはなにかを考えさせられる。そんな芝居だった。実はハワイでも、気象とは裏腹に、同様の矛盾を感じたところがあり、「風が吹かない」というメタファーが再び想起されてきていた。風が吹くことの意味。


本日、ユーラシア旅行社刊『風の旅人』の編集長S氏のお話を聞けることになっていて、再び「風」について思う。写真、文章ともに重厚毅然としていて、読み応え十分の雑誌である。こういう骨太な雑誌の存在は素直に読者としてうれしい。その雑誌の編集をほぼ一人でされているというS氏は元々は旅行会社の方だ。つまり業界の人ではなかった。ではなぜ雑誌を発刊されたのか? なぜ発行ができたのか? 素朴にそんな疑問が浮かぶ。その前に、どんな経緯で彼の中にコンセプトが生まれていったのか…。そこに、より興味を覚える。あのような重厚な雑誌を出し続けられていることに驚きを感じるが、彼がここまで想いを実現してこられた原動力というか、源泉をお聞きしてみたい。


常識や固定観念から自由になること。譲れないものを持ちながら、想いを実現していくこと。それは誰でもが望んでいることでもあると思う。一人の試行錯誤のプロセスは、誰にとっても切実なものであり、きっと力づけられる。自身の中に温度の差を生み、気圧の差を持つこと、それは自分の中に風を吹かせ続ける条件であろう。そのためには、自らになにを仕掛けていくのか…。

対面の前にそんなことを考えていた。