こうとわかっていれば

新聞によると、今年は世界物理年なのだそうだ。だからなんなのかは知らない。ただアインシュタインが1905年、三つの革命的な論文を次々に発表した年から100年経つそうだ。ユダヤ人学者としてドイツを追われ、米国の研究所に招かれた彼は、ナチスの原爆製造を恐れ、より早く米国が製造するように大統領に勧告した。結果として日本に使用されたことを悔やみ「こうとわかっていれば、自分は時計職人にでもなるべきだった」と言ったそうだ。そして哲学者ラッセルと平和声明を出した直後の1955年に亡くなっている。ちょうど没後50年前でもある。

ノーベル賞も「こうとわかっていれば…」というノーベルのこころの形である。知りたい、発見したい、発明したいという欲求は人間の本能であり、そのおかげで人類は生きのびてこれた。これたわけだが、それがパンドラの箱となることもある。純粋な研究のつもりが、利害の世界にまみれると、「こうとわかっていれば…」という事態に陥る。

やはり先日の新聞に、何人もの人の卵子から卵母細胞の核を取り除き、そこに皮膚細胞の核を移植すると、あらゆる組織に成長させられるという「胚性幹細胞」を育てることに成功したという記事。韓国での話だ。それを子宮にもどせばクローン人間ができるのである。もうそこまできている。国連総会はクローン人間の全面禁止を採択したが、韓国、英国とともに、日本は反対をした。

開発者は臓器移植、生命の救済のための研究であろうが、なぜ国としてクローン人間禁止に反対したのか、または賛成したのか…そこには利害判断が働いていると考えておくべきだ。人は過ちを繰り返す。賢者でありながら、愚者でもあるのだ。謙虚に“人間の領域”というものを自覚していなければいけない。新聞のコラム氏はアインシュタインは、今をみて、時計職人になって、時計の針を元に戻したいと思っていようか…と書いていたが、“バカに刃物”状態で戻しても、結果は虚しい。