とまどい・躊躇のすすめ

毎月のunaの朗読会へ。毎回それぞれが好きな文章を持ち寄って読む気楽な会だ。人が持ち寄る本での出会いが楽しみの一つ。初めて体験した文や人。気になっていたけれど読んでいなかったものとか、苦手だと敬遠していたものとか…。読んでいたけれど、ピンとこなかったものとか…。
自分が手にする本というのはどうしても傾向が似てしまう。作者も気に入っている人を優先してしまうし。それが、これでは人が選んだものに対面できる。中島義道カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ宮沢章夫重松清竹内久美子遺伝子と神について そんなバカな! (文春文庫)etc.逆に自分の持ち寄ったものが、同じ効果をもたらしているわけだ。先入観が壊され、そこからまたなにかがつながっていく感じがまた楽しい。

先入観とか固定観念というものは厄介なもので、注意しないとすぐにそれにとらわれてしまう。どうしてなのだろう。脳というものは意外と怠け者なのかも知れない。「あれはああいうもの」と規定されれば、判断したり、観察しなくてもすむ。安心でいられる。だからすぐに「あれはああいうもの」と結論したがるのではないのか。人とのコミュニケーションが脳にとっては一番高度なことだと聞いた。つまり相手の言動や反応がわからないというものに添って、対応しなければならないことが苦手。予測不可能な事態に対して、脳は弱いらしい。

で、話が戻るが、人の好み、人の選択、人のリズムに出会うということは、快もあるが当然不快もあるわけだ。不快というか、とまどいとか躊躇、違和感というような感情。人はそういうことは回避したいもの。でもちょっと持ち堪えてみる。と、それがより深い快を招き、安心をもたらすことを知る。実感としてそんな気がしている。