不思議な巡り合わせ

新聞に社会学者の見田宗介氏の記事。40年をかけて「人類の幸福のため」という原題を探求してきたという自身の文章だった。恥ずかしながら初めて知った。現代日本の感覚と思想 (講談社学術文庫)

長い車中に読むための本を必ず複数持ち歩くのだが、どうしても荷が重くなる。今日はちょっと体調も悪く、軽めのものをと思った。ちょうど今月号の機関紙が来ていて、それを整理しながらその中の一冊を手に、電車に乗った。ときどきじっくり読みたくなるのだ。パラパラとページを繰って、目に入ってきたのはなんと見田宗介という活字であった。こんなところで目にする名前ではない。同姓同名か、と思ったが多分同一人物であろう。その冊子とは野口整体の機関紙。こんなことってあるんだ。昨日まで全く知らない人だったのに。

創始者である野口晴哉氏(故人)の著書について、彼はなかなか興味深いことを書いていた。「日常平易の技法とか、障害の見立てを通して、一気に人間の本質をめぐる思考と感得にまで読者を導いていくものが多い」。なかでも『治療の書』は秀逸だと、文中からの言葉を紹介している。

「技は振うべく修むるに非ず。それを用いざる為成」という言葉。技を技として振るうのが利口の道。技をはじめから修めないのが馬鹿の道。野口氏は「利口でだめ。馬鹿でだめ。中途半端はもっとだめ」と言っていたそうだ。見田氏はその言葉に対して「利口でも馬鹿でもなく、その中間ということでもない。人はこのような仕方で、利口とか馬鹿という地平を超えて出ることができる」と言っている。

なんだか、その世界、わかる気がする。ちょっと奇異に聞こえるかも知れないが、以前操法をしてもらったとき、「眠ってもいいんだよ、眠らなくってもいいんだよ・・・」と子守唄代わりに赤ちゃんを寝かすということを指導の先生が言われていた。そういう世界を言っているのではないだろうか。

抜粋から「治療ということ病気を治すことに非ずして、活かすこと也」「活き活き生き、疲れて眠りを求むる如く死ぬ也。之を全生という」。因みに機関誌のタイトルはこの「全生」からとっている。参考:風邪の効用 (ちくま文庫)