デザインと進化論

ヒマラヤの高地で生息するユキヒョウの生態を追った番組があって、そこに夏季に咲く植物の姿が映し出された。きれいであった。鮮やかな紅色の花には沢山の長い産毛が生えていた。世界には、あんな過酷なところになぜわざわざ生息するのか、と思う生物が沢山いる。

先日の原研哉氏が「進化論とデザイン」という言葉を言われていて、面白いテーマだと思っていた。進化→形態論→デザインとするとわかりやすい。例えばユキヒョウのドット柄を考えてみる。ヒマラヤの岩場の中では意外にわかりにくいのだ。毛の色はバックの岩の色に近いし。草原のヒョウの柄、色合いと違ってきている。そういう柄の生体がより獲物を採りやすかった。そのために生き残れた。

いつもいい写真が載っている雑誌『風の旅人』の何号かに、擬態生物の写真が載っていた。それらを見て、あまりの見事な環境への溶け込みかたに驚いたことがある。それは長い進化の過程において、天敵に見つかりにくかったり、食物を摂取しやすかったりした形態、色彩を持ち合わせていた生物だけが生き残ってきた結果なのだ。彼らはとても美しかった。そのデザインは合理的で、無駄がなく、その上に生命の厳しさも感じさせるからではないのか。デザインというものはそういうところから発するもの、と原氏は言いたかったのだと思う。