石垣りんさん

27日の新聞に詩人の石垣りんさんの訃報が載っていた。一面に津波災害のニュースが載った最後のページに。ショックを受けた。84歳だったという。「ああ、もうそんなお年だったのか…」。特に詩に詳しいわけではなく、ほとんど書くこともないが、詩人では一番身近に感じていた方だった。昔、私の在籍した職場に居らして、彼女と接してもいるが、そのあともお会いしたことがある。事務服を着た彼女は地味で控えめながら、誠実な感じがした。

年月を経たある日、石垣さんがゲストだという詩の朗読とトークの会に行った。彼女は柔らかいパステル色のベレーをかぶり光り輝いていた。少女のように可憐だった。朗読に感動した。

それからまた年月が経ち、私はスペースを運営するようになっていた。イベントにひとりの青年が参加した。彼は「自分が詩人だと思えば、詩人なのだ」と言い、詩人と名乗った。そして好きな詩人は「石垣りんさんです」と言った。そこで彼女の詩を改めて読んでみた。

もう一度お会いしたいなと思っていたから、訃報はショックだった。りんという名前のように、ひとりで凛と生きた方だと思う。ひとつ引用したい。やはり「表札」がいい。夜の太鼓 (ちくま文庫)

自分のところには
自分で表札を出すにかぎる
自分の寝泊りする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。

病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いていた。

旅館に泊まっても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼き場のかまにはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?

様も
殿も
付いてはいけない、
自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
そでれよい。