改めて言葉の重さ

いままでcさんを囲んで『論語』を読んできたのだが、今年は『芭蕉七部集』になった。連歌の世界である。論語は読むのが難しいと思っていたが、短歌は読めない、字が。
まずは短歌のお約束からお話いただく。一般市民の中で集って句を読みあったという形は芭蕉がはじめてのことらしい。庶民が人の句を受け、新たな句をつけてくという連句はコミュニティでのコミュニケーションケーションと言えるかもしれない。

昨日、新宿のベルクという古くからあるカフェバーに行く。オーナーのお連れ合い写真家の写真に、詩人であったオーナーの父君の詩を合わせた展示が行なわれていたからだ。詩集も何冊か出ている方だった。オーナー氏は「古い詩ですけどね」と言っていたらしいが、詩集を繰ってみたら、言葉がストーレートで、重い。直球な言葉はやはり届く。いま試作の形式的なことはわからないが、そういう直球の言葉が求められているんではないだろうか。自覚されていないかもしれないが…。ということで、写真とのコラボを考えていたので、unaで企画をすることにした。

今年は言葉を意識しようか。